理念と使命

 今の社会、世界の行詰りの原因は、西洋物質文明が精神や倫理道徳、人間の良心を無視し、利に心奪われ傾き「物心のバランス」を崩したからに他ならない。又、西欧近代文明の特色は国民的虚栄心と利己心であり、華美を競い宗教及び文化上に於ては排他的独善的であり、経済上では弱者を搾取し、政治上では陰謀と暴力が行われており、目で確認できる以上のものが裏で常に進行している。
 そして現代の人間は、見せ掛けの幸福を与えられ、権力により操作されて自由を失いつつある。それを高度資本主義と呼ぶかは、今や大きな問題でもなくなった。重要なことはブロイラー・チキンの群れを人間の連帯に変える事である。又、近代人には社会秩序やその他から孤立し、疎外されるか、或いはその権威主義的な政治と社会の構造に屈服してゆくか、この二つの選択肢しか与えられていない。それ故、大衆社会は孤立もしくは服従を創り出すタイプの社会秩序なのである。さらに民主主義は、万人が万人の専制者となり、万人が万人を干渉し、万人が万人を支配し、万人が万人を拘束する、監視社会である。
 東西冷戦により、共産主義の旗頭ソ連が崩壊を齎し、一方自由主義(資本主義)の雄、米国が世界の盟主国家として近年に至るまで台頭してきたが、ここへ来て財政破綻を来たし、最早崩壊は時間の問題である、と云ってもよい。資本主義の目的は絶対の私有制、富の蓄積、利益の追求であり、その原則は生存競争、優勝劣敗、弱肉強食である。所謂、両陣営とも平等によこせ、自由によこせのエゴの物欲文明の成せる技である。
 このように近代が理性、知性の名の元に無限に欲望を肯定し、私利私欲私権力に頽廃してしまった以上、これを迎え討つものは、無私・無欲・献身・犠牲を叛逆の魂とする反近代の倫理である。我が国の伝統・文化は、いにしえより、物質的には平等に、精神的には自由に、という物心両一を基本とした祭政一致の国柄なのである。
 日本の神道は、教祖はなく戒律もなく、教典がない。依って古来から凡ゆる宗教思想文化を飲み込み逆に日本で花が咲いている。「神ながらの土壌が受容・溶解し、世界文明文化の溶鉱炉となっている」からである。かのアーノルド・トインビーが伊勢神宮にお参りした時「この聖域に立つと私は万教連合の本源があることを感じる」と記帳した。またアインシュタインも「世界の文化はアジアに始まってアジアに帰る。それはアジアの高峰、日本に立ち戻らねばならない」と礼賛している。さらに欧米の先覚者・識者は21世紀は、日本思想・神道理念の時代であると言っている。それは、真中(中心)を立て、分(各自の個性・固有性)を明らかにしてむすぶ(産霊、結ぶ・統合・和合・合一・一体・一致・調和・開化)と謂う日本文化の神道原理が、万邦兆民等しく生成化育する唯一の生命原理なるが故である、と信ずるものである。